OUR CHEF

name

Kan Morieda

森枝 幹

title

PRODUCER

chompoo / Chef

Kan Morieda

CAREER

1986年生まれ。調理専門学校卒業後、オーストラリア、シドニーのTetsuya'sで修行。帰国後、京料理の湖月、分子ガストロミーで有名なマンダリンホテル内にあるタパス モラキュラーバーにて修行を積む。2011年に独立。2014年よりサーモン・アンド・トラウトにてシェフを務める傍ら、レモンサワー専門店The OPEN BOOKをプロデュース。雑誌RiCEの編集に携わる傍ら、2019年に社員食堂UB1 table、タイ料理chompooを企画・プロデュース。

STORY

バレーボールか料理で悩んでいた

小さい時からジャーナリストで写真家の父の仕事の影響もあり、食卓にはハーブやスパイス、虫などが並ぶような感じで、食べることが好きでした。そんな食卓で育ったので、小さい頃から色々な食べ物が世界にはあるということを認識していたし、味に関しても分かっているような子どもだったと思います。

そんな感じで人とは少し違った食卓で生活する中で、料理人の道を勧められ、専門学校卒業後、シドニーの「Tetsuya‘s」へ行きます。元々僕は中学高校とバレーで全国大会に行くようなところでスポーツしており、バレーか料理か悩んでいました。Tetsuya’sは週休2日だったりと労働環境が良かったので、合間に皆でバレーをして楽しんでいました。ただ、現地でバレーをした時、体格差もあり、強さのレベルが違うと思いましたね。そこでバレーの道は諦め、本格的に料理をしていくことを決めました。厨房の中も多国籍で様々な国の人が同じように働いており、カジュアルなものからハイエンドなものまで提供しているような場所でした。今でこそメジャーになったペアリングや、品数の多いコースメニューもTetsuya‘sが最初に始めたのです。そういう環境がベースにあった僕が帰国した時に思ったのは、日本は遅れているなということでした。僕は、もう一度海外に行くつもりだったので軸になるものを身につけるべく、帰国後は和食や科学的な調理方法も学んでいきました。

そんな時、東日本大震災が起きました。地震を経て独立した方が良いと感じ、日本で屋台を運営します。そこでより一層生産者さんなどと近い距離感で繋がることができ、「サーモン・アンド・トラウト」を開業。この時からより一層多方面に手を出していき、今に至る感じです。僕は、海外に行くことでインプットし、メジャーどころを攻めるのではなく、これから来るだろうというコアな部分や末端の部分に関わっていくことで自分の立ち位置を確立していきました。

海外のベースとは

海外はレストランのシェフとオーナーの関係が企業として大きくなっていく、しっかりしたベースがあり、日本とは形態が違う印象でした。日本は遅れていると感じているのですが、もちろん自分の力だけでは限界もあるので、Social Kitchenでシェフ同士つながり、グループ企業として大きくなり世界を目指して行きたいですね。

現地のリアルを届けることは思いやりを持つことだ

僕自身には既にマニアックでコアなファンがついてくれていました。Social Kitchenに所属しその範囲を広げマスを獲得していくつもりでした。しかしコロナの影響もあり、現在はマス自体が迷子になり自分が狙っていた分野が弱くなってしまった印象を受けています。僕らしい活動が現状難しいながらも、その中で RiCEで連載を始めたり、文章を書くようになって、その方面も進めていきたいと思うようになりましたね。僕はずっと、自分の体験を元にアウトプットしていたので、現在は思うように動けない状況ではありますが、当たり前のことをしっかりとやっていき、そこに様々なことを+アルファして基盤を固めていけたらと考えています。

コロナが落ち着き次第、世界との繋がりをもっと強めてシームレスにしていくのが当たり前になると思うので、Social Kitchenは先を行く企業にしていかなければならないし、やるしかないと思っています。僕が、海外の料理を積極的に取り入れているのは父の影響もありますが、現地の人のリアルな食を届けることで、自分と変わらない部分を見つけたり、思いやりを持ったり、繋がっていくと信じているから続けています。以前のように、これからも森枝は最先端のトレンドを持ってきて面白いことをやっているよなって言われるような活動をしていきたいですね