コックコートを着て料理するのが夢でした
僕は物心ついた時から料理をしており、その頃からコックコートを着て料理をするのが夢でした。最初に働いたのがひらまつグループの代官山にある「リストランテASO」。シェフの阿曽さんはホスピタリティーが高く、お客様に合わせてサービスを変えるような人だったのでとても勉強になりました。ASOはレストランウエディングとしての地位も確立しているようなお店で、前菜からデザートまで様々なポジションを経験し、ラグジュアリーな空間で料理人としてのベースを築くことができました。
その後、カジュアルなビストロなどのレストランを経験します。料理人の流れに沿って、市場で素材を目利きし、仕入れ、調理するといったことが僕のベースにはあったのですが、その後に働く熟成肉「中勢以」は僕にとっての大きな転換期でした。そこでは、伝統的な技術・素材の活かし方・生産者との繋がりの大切さを学ぶことで、料理人としての世界観が変わり“自分らしさ”を意識するようになりました。
その後「Bees Bar by NARISAWA」の立ち上げに携わり、NARISAWAでの世界基準での仕事ぶりを体験し、全てにおいてこだわり、突き詰める姿勢を学びました。厳しい環境ではある一方で、週休2日が確約されているなどといった働き方が印象に残りました。料理人らしさを尊重し、単に長い時間働くのではなく、新しい時代のものを取り入れクリエイションをしていく姿勢が勉強になりましたね。
常に学んでいく
その時々で自分に足りないものを見せつけられるので、いつも課題は違うのですが、常に学びの姿勢を大切にしています。しかし、総じて思うのは料理人が厨房にこもっている時代は終わり。これからは外の世界と繋がりを持っていなければ、そこで止まってしまうと感じていました。僕は、23才くらいの時からライフワークとしてファーマーズマーケットや本屋に通ったり、お酒の勉強をしたりしていました。休みの日は吸収するために色々な場所に行っていた自分でしたが、当時を振り返り、足りていなかったなと思う部分は勉強面です。語学や人との繋がり、パソコンスキルや経営的観点は早いうちから勉強した方が良いと感じています。
お店を出して当たれば成功という時代は過ぎた
料理人としての働き方もどんどん変わってきているなと肌で感じます。お店を出して当たれば成功という時代はすぎ、これからは箱にこだわらず、自分が表現者にならないと生き残れないとも感じます。
今までのように、育ってきた人を使っていくということが全てではなく、雇う側も雇われ側も相互に育っていく必要がある。そのためには、待遇面も整備していき、飲食業界で働くことの地盤をしっかりと作り込んでいくことが必要だとも思います。
僕の考えですが、これからは個人で活動していくのではなく、企業として取り組んでいくべきで、Social Kitchenで考えるなら横のつながり、シェフ発信で働き方を変えていく努力をしていくべきではないかと思います。 人の手がないとできない仕事だからこそ、チーム力で変えていくことが重要なのではないかと思っています。
お客様もブランドについているのではなく、シェフやサービスの人に対してファンがついてきているとも感じているので、Social Kitchenという箱をベースにグループとして枝葉が分かれ、広がりを作りチーム力を育てていくことが必要なのではないかなと。これからは“隠す“のではなく“見せていく“時代。シェフ達が常にブラッシュアップをしていき、生き残っていくスキルを身につけていくのが良いと思っています。